Life as Society

バイオ化する生活と現代のダ・ヴィンチ

五十嵐圭日子 × 杉山 将 × 浦野泰照

これからのバイオテクノロジーは、ますます人々の生活に溶け込んでいくだろう。UT7が構想する未来の生活、そして、科学だけでは解決できない「トランス・サイエンス」の領域を考えることから、来たるべき社会と政治のあり方が見えてきた。
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バイオテクノロジーは見えなくなる

杉山: わたしたちのパートは、UT7がキーワードに掲げる「2つのLife」──生命と生活のうち、生活にフォーカスして語ってくれとのお達しです。生命の分野で培われた技術は、今後どのように生活を変えていくのでしょうか、と。

浦野: おそらく、市井の人々には見えにくいところで、ものすごいアップデートが起こるでしょうね。

五十嵐: わたしもそう思います。「バイオテクノロジーがわたしたちの生活を変える!」というと何やら派手な変化が起こりそうな響きですが、真に汎用性の高いエポックな技術革新は、目に見えないレベルで生活に溶け込むんですよ。

わたしたちの生活を支えているバイオテクノロジーの代表といえる存在が、酵素だと思っています。いまや食品や洋服、洗剤など、さまざまなプロダクトに酵素が使われています。いまわたしが履いているジーパンのストーンウォッシュ加工なんかも、実際に石で洗っているのではなくて、酵素でそれっぽく色落ちさせているんです。

杉山: 食べ物での活用の印象が強かったのですが、それだけではないと。

五十嵐: そうなんですよ。そして、こうした製品に用いられる酵素は、遺伝子組み換え技術を駆使して、人工的につくられているものが大半です。近い将来、培養肉などが市場に出回るようになったら「人工的につくられた食物なんて……」と避ける方々はいると思いますが、わたしたちは気づかぬうちに、すでに人工生物をけっこう摂取しているんです。

浦野: 医療の分野でもバイオテクノロジーは大活躍していますが、その事実も一般にはほとんど知られていませんよね。

杉山: 生活における科学技術とは「見えなくなる、当たり前になる」がひとつの到達点なのかもしれません。わたしの分野でいえば、インターネットやAIなどの存在がわかりやすくて。出始めの頃は「近未来のすごい技術だ!」と騒がれていましたが、しばらくすると当たり前に社会に浸透して、むしろなかった頃のことが思い出せなくなってしまう。

浦野: たしかに、もうインターネット以前には戻れない気がします。

五十嵐: 縁の下の力持ちとして、わたしたちの生活を密かに豊かにしてくれる技術の数々、先人たちの研究成果に、あらためて感謝したいですね。

Life as Society - バイオ化する生活と現代のダ・ヴィンチ 五十嵐圭日子 × 杉山 将 × 浦野泰照
東京大学農学生命科学研究科教授。木や草からエネルギーやマテリアルを生産する研究の第一人者。これまでの常識を疑うことで、酵素の「交通渋滞」解消によるバイオマス変換の高効率化をはじめ、バイオマス変換研究に革新を起こしている。
UT7が一丸となって「新しい生命の概念」をつくっていくにあたり、これからわたしたちがチームとしてどんな意志を持つか、ということも重要になってくる気がしています。
──五十嵐圭日子

すべての家庭を病院にするために

浦野: これから先、アップデートされた生命にまつわるテクノロジーによって、どのように生活が変わっていくかと想像すると、ひとつ大きなキーワードとして挙げられるのは「パーソナライズ」ではないかなと思っています。

杉山: わたしも同感です。生命分野に限らず、あらゆる商品やサービスが個別最適へと向かっていくでしょうね。いままでは統計とにらめっこして、いかに平均を取った汎用性のあるものをつくるかに焦点が当たってきていました。

一方でIT技術が進んだ現代では、膨大なデータ処理が可能になったことで、一人ひとりの個人データを集積・解析し、それぞれに合わせたソリューションを都度チューニングしながら提供する、なんてことが実現できるようになってきたわけです。

浦野: そうですね。そのパーソナライズが生命の分野に対して働くと、何が起きるのか。これはぼくがUT7で取り組みたいことでもあるのですが、「すべての家庭を病院にする」という状況をつくれるのではないかな、と考えているんです。

五十嵐: 「家庭の病院化」とは、どんな状態なのでしょうか?

浦野: たとえば、一人ひとりがそれぞれ自分のデバイスで、あらゆる身体データや生活データを自動で記録するようになったとします。そうすると、体調が悪くなったときに、それまでのデータを解析して、病院に行かなくてもある程度の診断、対処ができるようになるでしょう。それだけでは不安な場合も、そのデータを医師と共有して、すぐにオンラインで適切な処方箋を出してもらって、近くの薬局で簡単に薬を手に入れることもできるようになるかもしれません。

杉山: そこまで実現したら、軽症で病院に行く人がグンと減って、医療のリソース不足の改善にも貢献していきそうですね。

Life as Society - バイオ化する生活と現代のダ・ヴィンチ 五十嵐圭日子 × 杉山 将 × 浦野泰照
東京大学 大学院新領域創成科学研究科複雑理工学専攻教授。機械学習とデータマイニングの理論研究とアルゴリズムの開発、およびその信号処理、画像処理、ロボット制御などへの応用研究に従事する。
政治学や経済学の先生たちにも仲間になってもらって、文理の垣根を超えたチームになっていきたいですね。わたしたちの持つ知恵を、広く社会の「生活」の礎に活かしていくためにも。
──杉山 将

浦野: 「病院いらず」というレベルまでいかなくとも、患者の身体データ・生活データのログがあることで、より的確な診察ができるだけでなく、一人ひとりの診察時間の短縮にはつながるはずです。

また、医療の個別化のために採取する各データを、一カ所に集約して解析していければ、医療全体の進歩はさらに加速していけるはず。今回の新型コロナウイルスのような突然の流行病が起きた際に、大勢の人々の生活データを一気に解析できれば、既存薬のどれが有効かなどの判断速度は劇的に向上するでしょう。

五十嵐: 仮にこうした個別最適化される医療サービスの導入が進んで「全国民が常日頃から創薬のプロセスに参加してくれる」といった状況をつくれたら、創薬・医療の世界にパラダイムシフトが起きますね。

浦野: 医療のパーソナライズが進めば、人類はよりピースフルな世界を築けるはずなので、個人としてはぜひ推していきたいと思っています。ただ、そこでクリアしていかなければいけないのは、「技術をどう扱い、どうコントロールしていくか」という倫理的な問題です。

杉山: 個人の身体・生活データなどは、その人を丸裸にしてしまうような、非常にセンシティブな情報ですものね。取り扱う上でのルールを決めたり、丁寧に利用者との合意形成を結んでいったりすることが、とても大事になりそうです。

五十嵐: わたしたちは科学屋であって、どちらかというと技術ドリブンでさまざまな取り組みを推し進めてしまいがちです。視野は多角的に広くもたなければ、ですね。

浦野: ひとりでは気づかない、あるいは行き届かないような視座も、UT7ではお互いに補い合っていけたらいいなと思っています。

五十嵐: 不足は補い合って、得意はかけ合わせていく。そうやってUT7がひとつのチームとして機能していけば、大きな何かが成し遂げられそうです。

浦野: それこそ、わたしたち全員が力を合わせたら、ダ・ヴィンチひとり分くらいのクリエイティビティを発揮できそうじゃないですか?(笑)

杉山: 7人でダ・ヴィンチ! それなら目指せそうだ(笑)

Life as Society - バイオ化する生活と現代のダ・ヴィンチ 五十嵐圭日子 × 杉山 将 × 浦野泰照
東京大学 大学院薬学系研究科薬品代謝化学教室/東京大学 大学院医学系研究科生体情報学分野教授。化学プローブの精密設計による、新たなイメージング技法・医療技術創製研究を展開している。
トランスサイエンスとは、科学者による科学への挑戦ですね。既存の当たり前の概念を、いかに超えて拡張していくか。そのためには、異なる学術領域の融合を促していける「接続の専門家」がいるといいのかもしれません。
──浦野泰照

UT7には文系が足りない

五十嵐: UT7が一丸となって「新しい生命の概念」をつくっていくにあたり、これからわたしたちがチームとしてどんな意志をもつか、ということも重要になってくる気がしています。

浦野: 意志、ですか。

五十嵐: たとえば、ダ・ヴィンチは純粋な真理への探求心だけでなく、「どんなものをつくったら人々の役に立つだろうか」ということも考えていたと思うんです。だからこそ、ヘリコプターのような設計図が書けたわけで。

杉山: 技術と意志がかけ合わさって、初めて実用のかたちになると。

五十嵐: 社会実装を意識しすぎると刈り取り型の研究になってしまいますが、「研究成果をどのように世の中に活かしていくか」という意志をどのようにもつかは、これから皆さんと議論を深めていって、共通認識をもてるとよさそうだなと感じます。

浦野: 「どんな社会課題を優先して解決していくべきとするのか」「その優先順位はどのようなロジックで決めていくのか」あたりの認識を揃えていったほうが、一人ひとりのパワーが分散しないで済むから、社会に対して大きなインパクトを与えていけますね。

杉山: 社会の難しさは、ひとつの課題に対して、必ずしも答えがひとつじゃないところにあると思っていて。コロナについても、ある立場から見れば「強制的にロックダウンして感染拡大を食い止めること」が是とされるけれども、別の立場からだと「十分な対策を講じながら経済を回し続けること」が是とされるじゃないですか。

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浦野: そうですね。

杉山: 先ほど話題に出た「パーソナライズ」の思想に基づけば、それこそ立場の数、人の数だけ異なる答えがあり得るかもしれない。そうした前提に立ちながらも、わたしたちは何らかのエビデンスを採用しながら、アプローチする先を選んでいかないといけません。いっぺんにすべてを解決することなんて、やっぱりできませんから。

そう考えると、わたしたちのような科学屋だけで社会との接続方法を考えるのではなくて、哲学や社会学などの文系の専門家にも、UT7の議論の輪に加わってもらうべきかもしれないな、と思っています。

浦野: それは本当に同感です。前述の「技術をどう扱い、どうコントロールしていくか」の倫理をどう組み立てて、社会とのバランスを取っていくか。ここの議論に文系畑の方に入ってもらえれば、新しい技術を社会にインストールしていく際のハレーションが、より小さく済むやり方を編み出していけそうです。

そうした技術におけるボトムアップの視点と同時に、トップダウンの視点でのアプローチも視野に入れていきたいですね。面積が狭く、資源の乏しい日本が持続可能な発展を遂げていくには、サイエンスで引っ張っていくしかないと思うんですよ。

五十嵐: 同感です。台湾では最近になってオードリー・タン氏などが目立っていますが、ここ数十年、政府が技術立国に振った政策を取っていましたからね。その成果がいま、あのようなかたちで芽が出始めている。

浦野: 現状の日本の政府の中枢には、サイエンスに強いプレイヤーが多くありません。もっと国の意思決定の場に科学者がいないと、社会全体でサイエンスの適切な支援や運用はなかなか難しい。いっそのこと、UT7で「理系党」なんかを立ち上げて、国に理系人材を送り込んでいったほうがいいのかもしれません(笑)

杉山: そう考えるとますます、政治学や経済学の先生たちにもUT7の仲間になってもらって、文理の垣根を超えたチームになっていきたいですね。わたしたちのもつ知恵を、広く社会の「生活」の礎に活かしていくためにも。

トランスサイエンスの担い手

五十嵐: 昨今の大学は、学問の多様化によって学部や学科は増えています。それ自体は喜ばしいことですが、一方で細分化されすぎたことで、領域横断的なつながりが生まれにくくなって、アカデミアの縦割り感は強まっているように感じています。

既存の細分化の傾向をはねのけ、あらゆるジャンルの学問を「Life」というキーワードでまとめ上げて化学反応を誘発していくのが、UT7の真骨頂なんですよね。それでこそ、従来の科学では解けなかった謎にアプローチしていける「トランスサイエンス」の担い手になっていけます。

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浦野: トランスサイエンスとは、科学者による科学への挑戦ですね。既存の当たり前の概念を、いかに超えて拡張していくか。ここを強化していくためには、もしかすると、異なる学術領域の融合を促していける「接続の専門家」がいるといいのかもしれません。

研究者って皆それぞれ、本当におもしろい研究をやっているんですよ。けれども、普通に大学で過ごしていると、他学部の先生たちの研究内容はもちろん、下手すると隣のラボでどんな研究が行なわれているかもわからない……なんてケースはざらにあると思います。そのままではいけないというか、もったいないのだなと、UT7の活動を始めてから如実に感じるようになりました。

杉山: UT7の今後を思うと、研究成果を広く外にわかりやすく発信していくポジションの人がいるといいなと考えていましたが、それも「接続の専門家」といえそうです。学問間だけでなく、サイエンスと産業、サイエンスと政治など、あらゆる文脈との接続をうまくアレンジしていける人が、これからますます求められますね。

五十嵐: 研究成果の発信は、将来の学問の発展を持続可能にしていくためにも、すごく大事な行為ですよね。研究に没頭していると疎かになりがちですが。伝えていかないと、次世代の若い芽が育たない。

杉山: そうなんですよ。おもしろくて大事な研究をやっている自覚があるならば、それを次世代につないでいくことも、どこかで考えなきゃいけない。UT7を学問の革新に迫るプロジェクトにしていくなら、この活動のプロジェクトの価値を周知させて、しかるべき後継にバトンを渡していく必要があります。

浦野: つないでいくために、このバトンを「受け取りたい」と思ってもらえるような振る舞いを、しっかり見せていきたいですね。ぼくらのやっていることを「おもしろい、楽しそうだな」と感じてもらって、向こうから「仲間になりたいです!」と歩み寄ってくれる。UT7をそんな存在にしていきたいと思っています。

TEXT BY TAKESHI NISHIYAMA
PHOTOGRAPHS BY KAORI NISHIDA

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